真我探求
「私は誰か?」という問いによって、本当の自分(真我)に目覚める。
これを、真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)といいます。
これを、真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)といいます。
私は数十年も前からこの探求法を知っていながら、つい最近までまったく見向きもしませんでした。
というか、素晴らしい方法だという認識はありましたが、もっと早く深く進める方法があるんだと勝手に思い込んで、外側を探していたんですね。
というか、素晴らしい方法だという認識はありましたが、もっと早く深く進める方法があるんだと勝手に思い込んで、外側を探していたんですね。
でも、最近になって「本当の自分」だけが、自分を救える唯一のものだと思い始めたんです。
表現が難しいですが、「本当の私」に還ることだけが、安心立命する唯一無二のことだと思えるようになったんです。
表現が難しいですが、「本当の私」に還ることだけが、安心立命する唯一無二のことだと思えるようになったんです。
私自身様々な経験をして人生の終わりにさしかかり、それでもなお、幸せでありたいと願い、右往左往している自分。
こんな自分を脱却したくて、さらに右往左往し、心は逆に急き立てられ混乱し、激情を抑え抑圧されている自分を知っている。
こんな自分を脱却したくて、さらに右往左往し、心は逆に急き立てられ混乱し、激情を抑え抑圧されている自分を知っている。
知っているけど、そうしている自分自身をどうにもできない。
それをしているのも、それを嫌悪しているのも自分自身だと解っていてもどうにもできない。
そんな苦悩を感じているとき、また、真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)を眼にし、思い出したように「私は誰?」と問いかけ続けました。
それをしているのも、それを嫌悪しているのも自分自身だと解っていてもどうにもできない。
そんな苦悩を感じているとき、また、真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)を眼にし、思い出したように「私は誰?」と問いかけ続けました。
「私は誰?」と問いかけるたびに、胸の凝りが熔けるような感覚を感じて、心が楽になるのを経験したんです。
苦しみの原因が何であったとしても、「それを考えているのは誰?」と問いかける。
すると、「私」となります。
あとは、「私は誰か?」と問いかけるだけでよくなります。
すると、「私」となります。
あとは、「私は誰か?」と問いかけるだけでよくなります。
この真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)は、どんなことにも応用ができて、しかも簡単なんです。
つねに「私」に的を絞って探求するだけですから・・・・。
つねに「私」に的を絞って探求するだけですから・・・・。
心の中にある、怒り、後悔、不安、願い、どんなものであれ、「それは誰が考えているのか?」と問いかければ、「私」となりますね。
そうなれば、「私は誰か?」と問いかけるんです。
「私は誰か?」
「私は何か?」
「私はどこにいるのか?」
と、「私」の源を探求するんです。
そうなれば、「私は誰か?」と問いかけるんです。
「私は誰か?」
「私は何か?」
「私はどこにいるのか?」
と、「私」の源を探求するんです。
そんな問いかけをしているうちに、自分を苦しめていた考えが無くなってしまいます。
しばらくすると、また出てきますが、その時は「私は誰か?」と問いかけ、探求すれば良いだけです。
悩んでいるのは誰か?。苦しんでいるのは誰か?。
「私は誰なのか?」を問いかけて、「私」の源を見出すことで、すべてが解消されるのです。
この、真我探求は「ラマナ・マハルシ」師や「シュリー・H・W・L・プンジャ」師等の先師によって世に残された貴重な真理だと思います。
私の人生において真我に目覚めることができるかは解りませんが、「本当の私」を探し続けてみます。
【ここまで、2018/9/2 加筆】
【ここまで、2018/9/2 加筆】
インドの聖者「ラマナ・マハルシ」師の提唱した方法ですが、伝統的なインドの手法とも合致しています。
実践方法は簡単すぎるほど簡単で、自分自身に自問するだけです。
「私は誰か?」と、「私」そのもの(真我)を探り続ける方法です。
この真我探求も、思考をもって思考を破壊するような方法ですが、本当にシンプルで真我だけに意識を向けていく方法です。
どうすれば心は静かになるのでしょうか?
「私は誰か?」と尋ねることによって、心は静かになります。
「私は誰か?」という想念は他のすべての想念を破壊して真我に向かうからです。
そして・・・・、ついには「私は誰か?」という想念そのものも消滅してしまいます。
そのとき真我は実現されるでしょう。
「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?
他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめて、
「この想念は誰に起こったのだろうか?」と自問することです。
どんなに多くの想念が起ころうとかまいません。
想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか?」と入念に探究することです。
それに対して現われる答えは「私に」でしょう。
そこですぐに「私は誰か?」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるのです。
このように修練を繰り返せば、心は源にとどまることに熟達します。
これが、真我探求のすべてといってもいいくらい、簡単すぎますね・・。
しかし、この自問を繰り返すことが難しいんです。
ある瞬間に心が静まりかえって、不動の空間のような感じを得るときもありますが、その状態を求めるとうまく行かなくなります。
なぜなら、その求める気持ちは欲求で、心の働きから発生した想念だからですね。
で、真我探求はそのようなすべての想念を排除して、真我そのものに向合う方法なのです。
なぜなら、その求める気持ちは欲求で、心の働きから発生した想念だからですね。
で、真我探求はそのようなすべての想念を排除して、真我そのものに向合う方法なのです。
真我とは、「私はある」というような存在そのものです。
そこに思考や感情は付随できないものなのです。
そこに思考や感情は付随できないものなのです。
ですから、思考があるうちは、真我には融合できないのです。
「私は誰か?」探求しなさい。
どこへ行こうともこれをするのにたいした努力はいらない。
「私は誰か?」と自問して、「私」がどこからやって来るのか見つけ出しなさい。
どこからやって来るか見つけだしたらあなたは静かで、これが「私」を手放すことだ。
「私は誰か」見つけ出すだけでよい。
そして、その答えは「今」見つかるだろう。
尋ねなさい!「私は誰か」耳を傾けて聞きなさい!
それについて考えないこと!ただ一度だけ尋ねなさい。
それについて考えないこと、答えを見つけようと努力しないこと。
私が言っていることが分かるかね?
どうやって探すのか?
「私」の源泉を探しなさい。
さもないと感覚は外側を探している。
今、内を見なさい。
執着している人なし、場所なし、物なし、これを一秒間にやらなければならない。
静かにしているということは、どこから思考がやって来るのか見ているということだ。
この観察が日本語に訳されて、「私は誰か」になる。
マインドの内側で「私は誰か」たずねなさい。これも又、観察だ。
「私」の源を見つけることと、どこから思考がやって来るか見つけることには違いがない。
ただ観察すること、警戒していなさい、努力しないこと。
身体、感覚、感情、思考、記憶等、あらゆる現象や心の働きを、
「これではない」「これではない」と否定していったあとに、ただひとつ残る覚醒。
それが私である。
絶えず「私」、「私」と考えても、人はその場所に導かれていくだろう。
単純明快、簡単なのですが、簡単さ故に難しいんですね。
ですが、今私が一番行なっている方法はこの、真我探求です。
ですが、今私が一番行なっている方法はこの、真我探求です。
これを始めると、他の方法は不要だと感じます。
真我はいつもここにある。
その自身の真我に還る。
他の何かになろうとすることではなく、本来の自分(真我)を自覚する。
真我として、ただあることに戻るだけ。
無限の無の空間に還るだけ。
私の言葉ではまったく表現できない、そのままの真理に辿り着く・・。
真我探求こそが最も直接的で、道を外さない確実な方法だと思えます。
その自身の真我に還る。
他の何かになろうとすることではなく、本来の自分(真我)を自覚する。
真我として、ただあることに戻るだけ。
無限の無の空間に還るだけ。
私の言葉ではまったく表現できない、そのままの真理に辿り着く・・。
真我探求こそが最も直接的で、道を外さない確実な方法だと思えます。
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