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<title>思考の解放・思考停止：新着情報</title>
<link>http://www.joju.xyz/</link>
<language>ja</language>
<lastBuildDate>2020-06-14T15:52:12+09:00</lastBuildDate>
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<title>思考を止める：Affirmation：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/Affirmation/0007.html</link>
<description><![CDATA[思考を止める。
無意識は完璧。
思考を止めて、無意識に丸投げ。
完璧な世界、最善の結果、本当の幸福。


シンプルにした。
無意識のところは、潜在意識でも、神でもなんでもいいです。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止めてお任せ：その他：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/0013.html</link>
<description><![CDATA[思考を止めてお任せしてしまうと、本当に楽に生きられます。

自分が考えてなにかをするという、認識を転換してしまう。

完璧な潜在意識が自動的に全部行なっていると思えるなら、丸投げできます。

皆さんがどう考えているのかわかりませんが、私の場合は、自分で一生懸命考えたところで、大した結果は出ていませんでした。

なので、今自分で考えることを放棄しても、それほどリスクがあるとは思わなかったのです。

ただ、よく考えていただきたいのは、このような方法を模索している人は、今までの人生に満足していないはずです。
ということは、自分で考えてなにかをするのも、自分の人生をよくするとは言い切れないということです。

自分で考えて、自分で行為しているという人で、今幸せならそのままでいいでしょう。

しかし、今、幸せだと思えないのなら、思考を手放して、丸投げするのも面白いです。


私の経験から、思考を止めて丸投げしたとしても、今より極端に悪いことが出てくることはないからです。

それよりも、努力もしないで、すべてが丸く収まるような状況が連続してくると思います。

目標も目的も全部丸投げです。

自分ではなにも考えないで、ただ、感じたことを実行する。
そのとき、やりたいと思うことを実行する。

そんな感じでやってきましたが、問題は発生していません。
というより、今までだったら大きな問題といえるようなことが起きても、自分では考えないので、大きな問題にならない（大きな問題と感じない）。
丸投げしているので、それがどうなっても、出てきたものを受け取るだけ、という感じです。


完璧に思考を止められているわけではないので、元祖一式を実践できているかは微妙ですが、完璧な潜在意識に丸投げするのは、気楽な感じです。


思考を手放したり、感情を手放したり、やっていますが、どちらもそれなりに面白いです。


体の不調や恐怖などにも変化が出てきます。

不調が解消してきて、恐れも薄れてきます。

どちらも、まだ完全に解消してませんが、そんな感じで進展しています。


本当に思考を止めたり、解放できるようになると、瞬間的に解消するようになるといいます。

そこまでなりたいですね。
これは思考なので、止めます。


完璧な潜在意識が完璧な結果を顕します。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止める：その他：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/0012.html</link>
<description><![CDATA[思考を止める。これが幸せになるための結論です。
本当にいい言葉です。

この一行の言葉に導かれている気がします。

元祖一さんに会ってみたいと思いますが、これも思考なので手放します。


自分の内側にある潜在意識が完璧だと認めるなら、他人に頼る必要はまったくなくなってしまいますからね。

元祖一さんの言葉を信じて、元祖一式を実行するなら、完璧な潜在意識で完結です。

だって、完璧なんだから、その他のなにも必要としない。

ただ、思考を止めるだけで完璧な世界が現われるってことです。

だから、私達ができることは、ただ思考を止めようとすることだけ。

なにも考えない。これが正解なんです。



ただひたすら、思考を止めて丸投げするだけ。

良いことが現われても、悪いことが現われても、なにも考えないで、ただ丸投げし続ける。

完璧な潜在意識が現われるには、私の思考は邪魔なだけ。
だから、思考を止める。なにも考えない。

不平不満を考えているのに気づいたら、「あっ、思考してる」「完璧な潜在意識が全部行なう」

不安や恐怖を考えているのに気づいたら、「完璧な潜在意識が最善の結果を現す」

欲求や執着していることを考えているのに気づいたら、「完璧な潜在意識にまる投げ」

というように、思考を止めるための思考と入れ替えるだけです。


完全に思考を止めるのは難しいですが、思考の入れ替え、置き換えみたいなことは、比較的簡単にできます。

元祖一さんも、「ひたすらアファ」を推奨しています。


こんな感じで、思考を止めようとしているだけで、本当に人生が楽になります。

なにをやってもうまく行かないと感じている人は、実行して見る価値があります。


「思考を止めようとすること以外のすべての思考を止めようとする」
「これが幸せになるための結論です」
素晴らしい・・・・。]]></description>
</item>

<item>
<title>元祖一式だけ：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0036.html</link>
<description><![CDATA[元祖一式は面白いです。

本当に私のピンチを救ってくれてます。
元祖一式だけでいいです。

というよりも、ピンチもチャンスも同じ感じですかね。


ピンチをピンチと考えなくなったからかもしれませんが、なにがあっても意外なほど余裕です。
この変化は、自分でも驚きです。

そして、チャンスと思えることも、即実行なのでほとんど考えなしに進んでます。

あれこれ考えても、結果は変わらない。ホンキでそう考えられるようになってきたのかな？。

だから、悩む時間がなくなったぶん楽なんですね。

さらに、考えなくてもうまくいくんだというのを経験していると、考える必要性を疑います。


周りを見ていても、考えすぎてなにもできない人が多くいます。
私はなにも考えないで始めてしまいます。

振り返る頃には、大きな差が出ています。

だから、無責任に見られようが、いい加減だと思われようが、潜在意識に丸投げして、なにも考えないことです。


とにかく、考えても考えなくても、結果に大差ありません。

なぜかなんて考えません。ただ、その時やることをやるだけです。



ただ、大きな成功を実現したとかは言えませんが、会社内で給料は一番になっているようです。
ホントかどうかは分かりませんが、とりあえず生活に困ることはないので、どうでもいいです。


まあ、まだまだ、元祖一式の達人レベルではないですが、今までよりは考えていることがなくなりました。

また、現実や出来事について、あれこれ考えている自分に気づいた瞬間に、それを止めようとしています。

それは、考えることではなにも解決しないと知っているからです。
そうではなくて、完璧な潜在意識に丸投げして、なにも考えないのが最善だと考えているからです。

これは、思考を止めるための思考です。


潜在意識は完璧なんだということ。
完璧な潜在意識に丸投げすれば、最善の結果が実現するということ。
丸投げするには、思考を止めること。
こんな感じで考えて、思考を止めようとしています。


元祖一式は奥が深いですし、自由すぎて難しくもありますが、とにかく考えないこと。
思考を止めるための思考だけ。

あとは、完璧な潜在意識に丸投げする。


元祖一式はこれだけですからね。]]></description>
</item>

<item>
<title>最近はすぐ眠れる：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0035.html</link>
<description><![CDATA[数息を行なうようになってから、すぐ眠れるようになった。

もっとも、平均睡眠時間三時間程度を今も続けているので、ゆったりしていると眠ってしまうことは多々ある。

それでも、今までと違って、心地いい眠りに落ちるような感じで、眠りにつけるようになった。


もともと睡眠時間を短くしていたのは、私にとって眠ることが安静ではなかったから・・・。

いつからかは覚えていないが、眠ることがなかば苦痛に感じるようになってしまったから・・。

それが、また、いい気持ちで眠れるようになってきた。

とはいっても、数十年の習慣から、夜になるとやりたいことがたくさんあり、眠る時間を削って、それをやってしまう。

なので、相変わらず睡眠不足が続いている状態です。


それでも、数息をやってると本当に気持ちいい眠りに落ちる。

思考が止まったわけではないけど、思考が気にならない感じになる。

少なくとも、数息中は思考の連鎖は殆どない。


なぜって、思考の連鎖に巻き込まれたら、数息ができないから・・・。


数息が連続してできているということは、思考に巻き込まれていないということになる。

数えることも思考ではないかというなら、思考を止めるための思考だからと言える。

ただ、息を数えているだけを思考とは言わないでしょうし、数に意味があるわけではないから、最小限の思考になっているのでしょう。

アファより、少ない思考で効果は絶大のように思う。


だって、自然に思考から離れているんですからね。

だからといって、人生が大きく変わったわけではないので、思考を離れている証明は難しい。

まあ、それもどうでもいいかな？。


自分で気持ちよくやれるなら、それで十分に思う。

で、完璧な潜在意識の自然な呼吸を意識して数える。
なんて、思考したりしているけど、これは、本当に思考を止めるための思考ですね。

なので、思考を止めるためにも、数息って効果があるんです。

最近は、日常でも、気づくと息を数えているときがある。

なかば無意識に息の出入りを数え始めてしまう。

これが、いいか悪いかなんて私には解りませんけど、気持ちいいからそれでいいと思える。


これからも、適当に、気持ちよく続けていきます。]]></description>
</item>

<item>
<title>数息：方法：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%96%B9%E6%B3%95/0021.html</link>
<description><![CDATA[数息とか数息観というのを見たことがあると思います。

これはかなり有名な方法なので、少し瞑想とかに興味のある人なら大抵知っているのではと思います。

そんな、今更といえるような数息ですが、いまさらその魅力に気づいてしまいました。

そのやり方はとても簡単で、「息の出入りを数える」だけです。
ただ、呼吸を数えるだけなんです。

ただ、自然に呼吸している自分の呼吸を、自然のまま数えるだけです。

一から十まで数えるのを繰り返す方法や、百まで数える方法等、様々なやり方があります。

どの数息でも、自分がいいと思える方法でいいと思います。


ただ、自然の呼吸を数える。

それは、今の呼吸に気づいていること。

自分の呼吸に気づいていること。

「長く息を吸っているとき、長く息を吸っていると気づいている」
「長く息を吐いているとき、長く息を吐いていると気づいている」
「短く息を吸っているとき、短く息を吸っていると気づいている」
「短く息を吐いているとき、短く息を吐いていると気づいている」
これが、数息によって、息の出入りに気づいているようになった状態です。

このようになったら、数えるのをやめて、ただ呼吸の出入りに気づいているようにします。

そして、「全身を感じて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」
さらに、「全身を静めて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」

このように、呼吸の出入りを数えることからはじめて、呼吸の出入りに気づき続けることで、呼吸が安静になれば身体も安静になることを発見するでしょう。

そして、これは古くから伝わる、こころを静める方法なのです。
つまり、思考を止める方法と言えるのです。


更に続きます。
「喜びを感じて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」
「楽しみを感じて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」
「感情を感じて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」
「感情を静めて呼吸しようと意識して、呼吸の出入りに気づいている」


さらにつづくのですが、このように、呼吸に気づいている気づきと、感情や思考に気づいている気づきにより、感情や思考から離れて、手放してしまおうというのです。


実際に、気づきと離れることには関連があります。
気づいたときには、その思考や感情から少し離れた感じになります。

なぜなら、それらに巻き込まれているような状態のときには、その思考や感情に気づくことができないからです。

それらに気づいたときには、それから離れていると言えます。
ですから、それらを手放すことを意識して、呼吸に気づいているだけで解放されます。]]></description>
</item>

<item>
<title>私は誰か？：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0034.html</link>
<description><![CDATA[先日書いた、思考の出処の方法は、ラマナ・マハルシ師の真我探求です。

思考を止めようとしていると、この方法に行き着いてしまう。

思考を止めるための思考の行き着くところは、思考の出処を探求する。

思考の発生場所を見極めることになるのかな？。

そんな方法に移行すると、出てきた思考にあれこれ振り回されなくなる。

思考は流れるままにして、その思考の出処を探る。

どこから思考が発生してくるのかを見極めるようにする。

これも、なかなか面白い。


何かを考えている。
これは、誰が考えているのか？。
「私」となります。

すると「私は誰か？」という問いかけが始まります。
自分の内面に「私は誰か？」を問いかけていくと、心がスーッと楽になるんですね。

私の場合はまだそこまで・・・・。
それ以上に探求できていませんけど、あれこれ考える思考からは解放されますね。

思考している。
思考しているのは誰？。（私）
「私は誰か？」私はどこから生まれてくるのか？。と、探求します。


思考がどこから出てくるのかを探求するのもいいと思います。
ただ、原初の想念は「私」だといわれていますから、「私」を探求すれば、すべての想念が消えてしまうということです。

なぜ、探求すると想念（思考）が消えるのかといえば、心や私という観念は実態がないからなんですね。

実態がないから、それを捉えようとすると消えてしまうということです。


私はまだ解っているわけではなく、知識として知っているだけですけど・・・。

でも、確かに心は楽になるし、思考に捕らわれにくくなるので、いいと思います。


最後は、本当の私に行き着けるだろうと思いつつ、これはどこから生まれてくる？。
と、問いかけていきます。


ラマナ・マハルシ師の教えは良いですね。
自分自身の内面を探求するだけで完結している。

「私」を探求すれば、「私」という想念は消滅して、真我が立ち現れる。
真我を覆っていた、ニセの私（自我）が消滅すると、本当の私である純粋意識が現れる。
ということです。

単純明快で、まさしく真理だろうと思わされます。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考の出処：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0033.html</link>
<description><![CDATA[最近は、思考の出処を探求するようにしている。

まあ、思考を止めるための思考もするし、ただ、何も考えないようにもしている。

いつの間にか、いい気分でいることが多くなってきた。


特別、環境や周囲に変化が現れていることはないと思うけど、思考はあまり気にならなくなりつつあるのかな？？。

その他の思考（思考を止める思考）に意識を向けていると、自然に思考が静かになる。
そんな感じで、以前のように、思考を止めようと踏ん張る必要は、あまり感じなくなった。

どう書いたら良いのかわからないですが、自然に習慣的に繰り返している「思考を止めるための思考」に意識が向かい、それが心地よく感じる。


あれこれ考えているより、いい気分になれるので、自然に「思考を止めるための思考」に意識が向かう。


元祖一さんは、「心地よさを願望にしたらダメ」というようなことを書いていたが、どうなんでしょう？？。

思考が続かない・・・・。


だって、考えても考えなくても、人生は進んでいくし、大して代り映えしないからなって・・。


完璧な潜在意識が最善の結果を現す。と信じて進み続ける。

いや、進もうともしないのかな？。


ただ、今できることをやり続ける。

今できることだけをやり続けて、その他のことは忘れる。

今何ができるのだろうか？。


今、サイトを書いている。

あまり考えもしないで、思いついたまま書き記している。

それが、正しいか間違いかなんて、どうでもいい。
（人様に読んでもらうのに、ごめんなさい）

でも、思考を止めて、完璧な潜在意識に丸投げするから、私は努力しない。

努力する必要もない。

すべては、完璧な潜在意識が行うのだから。


私は、その結果を受け取るだけ・・。

それが、良いか悪いかも考えない。

すべては、潜在意識が行う。


私にとって最善の結果が眼の前に現れてくるのだから・・・。

いつ、何が現れるかは、すべて完璧な潜在意識が決定する。


私は、何も考える必要がなくなってしまった。

すべてが、それで良いんだって。

たまに、本当にそれで良いのか？？。
と、疑念が生まれてくるけど、それも無視。

私は何も考えないことを選んだのだから、いまさらあれこれ考えるのは止める。


それでも、一日の大半をいい気分で過ごせるようになったのだから、不思議で仕方ない。


散々考えて、悩んでやってきた仕事が、本当に楽になった。

今年の業績は今は分からないけれど、それなりに推移しそう。



何も考えない。

何も努力しない。

全然無理しない。

それでも、仕事は継続していく。

それなりに推移していく。


すべては、完璧な潜在意識が行っているから・・・。

一番いいときに一番いい結果が現れてくるだろう。

本当の幸せが実現されるのだろう。


もともと、完璧な存在だったって。
それが、なんとなく分かりかけてきたのかな？。

まあ、これからも思考を止めて全部丸投げしていきます。

ありがとうございます。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止めて本当の私：その他：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/0011.html</link>
<description><![CDATA[思考を止めて本当の私に還る。

思考を止めることができるなら、いわゆる無心の状態になりますね。

無心、無念無想といわれる状態は、覚りの境地と同じと思います。


なにも考えないようにすること。
思考を止めようとすること。
これは、同じようで、微妙に違うんですね。

ただ、同じだと考えても、ほとんど問題はないと思いますけど。

じゃあ、何でそんなこと書くのか？？。
これが思考ですね。

そう思う思考を止めようとすること。

思考を止めようとするのは、すでに思考しているときです。

思考に気づいたら、その思考を止めようとします。

思考を止めるための観念を繰り返したりすることですね。

「潜在意識は完璧だから、私はなにも考えない・・・」
「思考を止めると、完璧な潜在意識が完璧な世界を実現する」
等の、考えを、繰り返し考えて、その他の思考を止めるんですね。


ですが、日常生活を続けていると、思考を止めることなんてできないと思う人が多いと思います。
それは、そのような生活習慣に身を置いているということなんですね。

何を言っているかというと、私は去年、テレビも携帯も無く、外部からの刺激がほとんど無い状況に成ったときがありました。

そのとき、こう思ったんです。
外からの情報がないなら、自分の内側に向かおうってね。

瞑想的な状態でいつもいてみよう、という感じです。

そのときの心境は、なかなかのものでした。
思いがけず、言葉も通じない、テレビも携帯もない、まったく知らない世界みたいに。
極端な状況に投げ込まれた。

その状況に対する不満と、そうした人への不満と怒り。
そればかりが心に渦巻く。心を占領していたんです。

あの手この手で、思考を止めるための思考を繰り返していたんです。
「この不満は誰が考えている？」（私）
「私は誰？」・・・・・・。

「この思考はどこから起きる？」・・・・。（私）
「私は誰？」「私はどこから生まれる？」


「思考を止めると完璧な潜在意識が完璧な現実を実現する」
等々、思いつくことは全部やってました。

で、そのときは、心が静まったり、不満と怒りに巻き込まれたりを繰り返していました。

私の経験でいえば、強烈な体験、激痛や激怒等、強い感情をともなう経験をしているときは、その他のことは、どうでも良いレベルでしか考えられないということです。

つまりね、日常のたわいないことは、どうでも良いことでしかないんです。
そう思うと、そのことから意識を放すのは簡単になってくるんです。


意識が離れると、そのことに興味が無くなって、それに近づかなくなります。

そうなってくると、そのことに対する思考もほとんど浮かんでこなくなります。

なにも考えないようにするとは、それに近づかない、触れないようにすることも含まれます。


これは、言葉の問題ですけどね。


どちらにしても、思考を止めようとしても、次から次にそれに関する思考が生まれてくるなら、そのことから離れる意識が必要かもしれません。

そんな思考も消してしまうんですけど・・・。


「完璧な潜在意識が全部行なう」
と、考えて、その他の思考を止めようとする。

「完璧な潜在意識が最善の結果を実現する」
と、考えて、そのことに関する思考を止めようとする。

こんな感じの念想を、心が楽になるまで繰り返し続ける。


「思考を止めると完璧な世界が実現する」
「思考を止めると最善の結果が実現する」
「思考を止めると本当の幸福が実現する」
等々、思考を止めるための観念を繰り返す。

で、特定の問題に対して、興味が薄れてくれば、そのまま意識を放すみたいな感じで。



でも、気づいたら考えてた・・・。
みたいなときは、考えている自分を許しましょうね。

思考は悪。みたいに考えるのは思考ですから・・・・。

これでは、出口のない迷路にはまってしまいますね。


「へ～、そんなこと考えてるんだ。」
みたいに、自分の思考を第三者的に離れてみる。

「思考を止めると、完璧な潜在意識が完璧な世界を現すんですよ」
「完璧な潜在意識の世界が現れるのを待ちましょう」
のように、自分を説得してみる。


うまく行くときは、スーッと心が楽になるのを感じると思います。

いつも同じやり方でうまく行くともいえませんが、やらなければ始まりませんから。


何を考えているときも、その思考を止めようとする。

考えていいのは、思考を止めることだけ。

「思考を止めると、完璧な潜在意識が目覚める」
というような観念を繰り返してみる。

どんなことも、完璧な潜在意識に丸投げしていることが最善の道だからです。
これ、本当のことです。]]></description>
</item>

<item>
<title>今年も色々あった：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0032.html</link>
<description><![CDATA[今年も色々あった、まだ終わったわけではないですが、本当に色々ありすぎ。

思考を止めることでの、心の安定は実感しつつも、現象はとんでもないことも現れるんだね。

しかも、良いことも悪いことも両極端に飛び出てきた感じです。
こんなときは、これが最善の結果なんだって思うようにしたり、してますが、心の動揺は止まらなかったです。

それでも、踏ん張って、思考を止めようと意識しつつ、潜在意識に丸投げするよう意図して、
潜在意識は完璧だと思いながら、なんとか今日までやってきた感じかな。

とは、書いてみたものの、以前と比較したら、ほとんど動揺していない自分に驚きもない。
思考を止めてるんだから当たり前くらいに感じる。



そうしているうちに、現象はどうでも良いやってなってしまいましたね。
思考を止めると、現実の出来事もほとんど関心が無くなってしまうんです。

だから、そんなのどうでもいいやみたいに、これが最善の結果なんだってね。

もともと、変わり者を自負していた私ですが、最近はさらに普通ではなくなっているようにも思えます。
そして、それも気にならなくなってきました。

完璧な潜在意識が全部行なうから、私はなにも考えない。なんて考えるもんだから、無頓着です。

本当にこれでいいのか？。っていう思いも、止めて、全部丸投げする。

考えても考えなくても、大差ないなら、思考を止める。

完璧な潜在意識に丸投げするのが最善の方法だ。って考え続けてる。

ほんと、何が起きても、それほど動じなくなっちゃった。
自分が不思議でしかたないくらい、落ち着いているんですね。

また、欲しいものや成りたいと思うものもなくなってきた。
なんにもいらない、全部潜在意識がやるから。

困難でいいのか？。と考えている思考を止める。
不満や不安を考えている思考を止める。

完璧な存在に丸投げする。

こんなことばかり繰り返してきたな。

もうこれしかないでしょうね。
良いか悪いかは、今の私には解りません。
すべては潜在意識がやってますから。

私は考えることを放棄します。
丸投げして、そのまま受け取るだけにします。

気楽なモンだな。
無責任だと思う人は、そう思えばいい。
自分は思考を止めちゃうんで、どうでも良いこと。


これからも、考えないで丸投げする意識を持って継続していきます。]]></description>
</item>

<item>
<title>真我探求：方法：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%96%B9%E6%B3%95/0009.html</link>
<description><![CDATA[「私は誰か？」という問いによって、本当の自分（真我）に目覚める。
これを、真我探求（アートマ・ヴィチャーラ）といいます。

私は数十年も前からこの探求法を知っていながら、つい最近までまったく見向きもしませんでした。
というか、素晴らしい方法だという認識はありましたが、もっと早く深く進める方法があるんだと勝手に思い込んで、外側を探していたんですね。

でも、最近になって「本当の自分」だけが、自分を救える唯一のものだと思い始めたんです。
表現が難しいですが、「本当の私」に還ることだけが、安心立命する唯一無二のことだと思えるようになったんです。

私自身様々な経験をして人生の終わりにさしかかり、それでもなお、幸せでありたいと願い、右往左往している自分。
こんな自分を脱却したくて、さらに右往左往し、心は逆に急き立てられ混乱し、激情を抑え抑圧されている自分を知っている。

知っているけど、そうしている自分自身をどうにもできない。
それをしているのも、それを嫌悪しているのも自分自身だと解っていてもどうにもできない。
そんな苦悩を感じているとき、また、真我探求（アートマ・ヴィチャーラ）を眼にし、思い出したように「私は誰？」と問いかけ続けました。

「私は誰？」と問いかけるたびに、胸の凝りが熔けるような感覚を感じて、心が楽になるのを経験したんです。

苦しみの原因が何であったとしても、「それを考えているのは誰？」と問いかける。
すると、「私」となります。
あとは、「私は誰か？」と問いかけるだけでよくなります。

この真我探求（アートマ・ヴィチャーラ）は、どんなことにも応用ができて、しかも簡単なんです。
つねに「私」に的を絞って探求するだけですから・・・・。

心の中にある、怒り、後悔、不安、願い、どんなものであれ、「それは誰が考えているのか？」と問いかければ、「私」となりますね。
そうなれば、「私は誰か？」と問いかけるんです。
「私は誰か？」
「私は何か？」
「私はどこにいるのか？」
と、「私」の源を探求するんです。

そんな問いかけをしているうちに、自分を苦しめていた考えが無くなってしまいます。

しばらくすると、また出てきますが、その時は「私は誰か？」と問いかけ、探求すれば良いだけです。

悩んでいるのは誰か？。苦しんでいるのは誰か？。

「私は誰なのか？」を問いかけて、「私」の源を見出すことで、すべてが解消されるのです。


この、真我探求は「ラマナ・マハルシ」師や「シュリー・H・W・L・プンジャ」師等の先師によって世に残された貴重な真理だと思います。

私の人生において真我に目覚めることができるかは解りませんが、「本当の私」を探し続けてみます。
【ここまで、2018/9/2 加筆】


インドの聖者「ラマナ・マハルシ」師の提唱した方法ですが、伝統的なインドの手法とも合致しています。
実践方法は簡単すぎるほど簡単で、自分自身に自問するだけです。
「私は誰か？」と、「私」そのもの（真我）を探り続ける方法です。

この真我探求も、思考をもって思考を破壊するような方法ですが、本当にシンプルで真我だけに意識を向けていく方法です。

どうすれば心は静かになるのでしょうか？
「私は誰か？」と尋ねることによって、心は静かになります。
「私は誰か？」という想念は他のすべての想念を破壊して真我に向かうからです。
そして・・・・、ついには「私は誰か？」という想念そのものも消滅してしまいます。
そのとき真我は実現されるでしょう。
「私は誰か？」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか？
他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめて、
「この想念は誰に起こったのだろうか？」と自問することです。
どんなに多くの想念が起ころうとかまいません。
想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか？」と入念に探究することです。
それに対して現われる答えは「私に」でしょう。
そこですぐに「私は誰か？」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるのです。
このように修練を繰り返せば、心は源にとどまることに熟達します。

これが、真我探求のすべてといってもいいくらい、簡単すぎますね・・。
しかし、この自問を繰り返すことが難しいんです。

ある瞬間に心が静まりかえって、不動の空間のような感じを得るときもありますが、その状態を求めるとうまく行かなくなります。
なぜなら、その求める気持ちは欲求で、心の働きから発生した想念だからですね。
で、真我探求はそのようなすべての想念を排除して、真我そのものに向合う方法なのです。

真我とは、「私はある」というような存在そのものです。
そこに思考や感情は付随できないものなのです。

ですから、思考があるうちは、真我には融合できないのです。

「私は誰か？」探求しなさい。
どこへ行こうともこれをするのにたいした努力はいらない。
「私は誰か？」と自問して、「私」がどこからやって来るのか見つけ出しなさい。
どこからやって来るか見つけだしたらあなたは静かで、これが「私」を手放すことだ。
「私は誰か」見つけ出すだけでよい。
そして、その答えは「今」見つかるだろう。
尋ねなさい！「私は誰か」耳を傾けて聞きなさい！
それについて考えないこと！ただ一度だけ尋ねなさい。
それについて考えないこと、答えを見つけようと努力しないこと。
私が言っていることが分かるかね？
どうやって探すのか？
「私」の源泉を探しなさい。
さもないと感覚は外側を探している。
今、内を見なさい。
執着している人なし、場所なし、物なし、これを一秒間にやらなければならない。
静かにしているということは、どこから思考がやって来るのか見ているということだ。
この観察が日本語に訳されて、「私は誰か」になる。
マインドの内側で「私は誰か」たずねなさい。これも又、観察だ。
「私」の源を見つけることと、どこから思考がやって来るか見つけることには違いがない。
ただ観察すること、警戒していなさい、努力しないこと。
身体、感覚、感情、思考、記憶等、あらゆる現象や心の働きを、
「これではない」「これではない」と否定していったあとに、ただひとつ残る覚醒。
それが私である。
絶えず「私」、「私」と考えても、人はその場所に導かれていくだろう。

単純明快、簡単なのですが、簡単さ故に難しいんですね。
ですが、今私が一番行なっている方法はこの、真我探求です。

これを始めると、他の方法は不要だと感じます。

真我はいつもここにある。
その自身の真我に還る。
他の何かになろうとすることではなく、本来の自分（真我）を自覚する。
真我として、ただあることに戻るだけ。
無限の無の空間に還るだけ。
私の言葉ではまったく表現できない、そのままの真理に辿り着く・・。
真我探求こそが最も直接的で、道を外さない確実な方法だと思えます。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考しない：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0031.html</link>
<description><![CDATA[思考しないで、思考を止める。

「思考を止めようとすること以外のすべての思考を止めようとする」
これが、幸せになるための結論です。


日常的にあれこれ考えている。
その思考に気づいたら、思考を止める。

潜在意識は完璧だから・・・・。
思考を止めると完璧な潜在意識が・・・・。

のように、思考を止めるための思考を繰り返して、あれこれ考えている思考を静めてます。


思考を止めるための思考がうまく行ったときは、すーっとこころが楽になります。

うまく行かないときは、そのまま思考に巻き込まれたり放れたりですね。


それでも、思考を止めようと思い、思考を止めるための思考を考え続けていると、いつの間にかこころは静かになります。

多分、思考を止めるための思考もしないで、ただ、時間が過ぎれば、その時の思考は自然に消えて行くでしょう。

ですが、思考を放置すると、その思考に従った現実が現れてきます。
なので、思考に気づいたら、思考を止めようとするのですね。

「思考を止めると完璧な潜在意識の世界が現れてくる。」
と、いうことだからです。

思考の世界は完璧ではない、思考を止めた潜在意識の世界は完璧だということです。


思考で邪魔しなければ、完璧な潜在意識の完璧な世界が実現される。
こんな、考えが、思考を止めるための思考なんですね。


もう少しかるく。
あれこれ思考して、思い悩むのは、その悩みや不安等々の思考の内容を現実化します。
ですから、思い悩むことにはまったくメリットがないです。

ですから、思考を止めて、完璧な潜在意識が完璧な現実を実現する。
と、考えるだけにします。


自分で考えている思考を止めます。
全部潜在意識が行います。
思考を止めると最善の結果だけが実現します。

のように、超お気楽な楽天家でいましょう。
全部人任せ・・・。潜在意識任せで行きます。

実際、今までも全部潜在意識がやってきているんですけど、それに気づくだけで良いんですね。


頑張らないで、悩まない。
なにも考えない。
全部、完璧な潜在意識がやってくれるんですからね。

不安や心配なんて、直ぐにストップです。
考えるなら、「思考を止めると完璧な潜在意識の世界が実現する」等々
思考を止める思考を繰り返しましょう。

気楽に、できることをできるだけやりましょう。
無理なんてしませんよ。

できないことをやろうなんて思わないで。

今、できることをできるだけやれば良いんです。
あとは、完璧な潜在意識が全部やりますよ。

それだけです。]]></description>
</item>

<item>
<title>何を願うかすら丸投げ：方法：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%96%B9%E6%B3%95/0020.html</link>
<description><![CDATA[何を願うかすら、潜在意識に丸投げする。
ここを注意することも大切です。

思考を止めて潜在意識に丸投げすることを考えているとして、潜在意識に丸投げすると、あれが叶うこれが叶う。なんて考えていてはダメですね。

何かを願う、その思考そのものを丸投げしてしまいます。

なので、自分で願うこともなくなる。丸投げします。

コツは、それを自分自身に言い聞かせ続ける。
繰り返しアファですね。

「思考を止めて全部丸投げします」といい続けているときに、「思考が止まると最善の結果が・・・」と考えるのですが、その最善の結果をイメージしたりするのは違いますね。

ここ、間違えると、思考していることになりますから、注意が必要ですね。

何度も、思考を止めようとするときに、「思考を止めると、完璧な世界が・・・」のように繰り返すと思いますが、それにも期待しない、ただお任せする感じですかね。

「完璧な世界」「最善の結果」「本当の幸福」等々、言葉で明示して、思考を止めるメリットをインプットします。
でも、その「完璧・最善・幸福」等のイメージや構想を抱いてはダメなんですね。

これは、ちょっと引っかかるところのように感じたので、書いてみました。

全部、丸投げです。

「最善の結果はこうだ」みたいな結論を想像してはダメだということです。
完璧な潜在意識は私達の想像を超えたものだという理解を持つことも必要ですね。

何も考えない。
願うことも丸投げ。
全部を丸投げして、ただ受け入れる。

すべては、完璧な潜在意識が行うから、私は何も考えない。

何も考えなければ、最善の結果が現れる。
何も考えなければ、本当の幸福に安らぐ。
等々、適当に、考えて、思考を止めるための思考だけを繰り返しましょう。


どうなりたいとか、何がほしいなんて気持ち・思考を止めるんですよ。
そんな思考を手放して、全部丸投げしてしまえば、完璧な潜在意識が完璧な世界を現すんです。

とにかく、何も考えない、丸投げする。


思考を止めようとすること以外のすべての思考を止めようとする。
これが、幸せになるための結論です。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止める：方法：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%96%B9%E6%B3%95/0019.html</link>
<description><![CDATA[思考を止める。
単純明快な方法ですが、本当に効果的なんです。

元祖１式ですけど、少し解ってきたというか、体験できてきたので補足です。

思考を止めることをあまり難しく考えないで、ただ、思考を止めようとすればいい。
どうなれば、思考が止まっているとか考えるその思考を止める。

なにかについて、あれこれ考えているのに気づいたら、その思考を止める。
そして、完璧な潜在意識に丸投げ・・・・。と思考を入れ替える。

完璧な潜在意識が全部行うから、私は考えない。
潜在意識に丸投げ。

こんな、感じで繰返し、思考を止めるだけで良い。
思考を止めようとするだけで良い。

「思考を止めようとすること以外の全ての思考を止めようとする」
これが幸せになるための結論です。

まさにこの言葉に凝縮されています。


なんで、思考を止めるだけで幸せになるの？？
なんて疑念が出る人は、潜在意識は完璧だから・・・・。
って、繰返し言い続けると良いです。

完璧な潜在意識を信じると、心は楽になります。
安心感のような、ふわっとした気持になります。

この感じが、思考が止まった合図かもしれません。
っていう思考も止めるんですけどね。


ただ、現実や不満について、あるいは欲求や願望について、あれこれ考えているのに気づいたら、すぐに、思考を止めるのが良いです。

だって、ぐだぐだ考えても、ろくな結論は出ないと思います。
それよりも、完璧な潜在意識に丸投げするのが最善です。

自分が生きている限り、完璧な潜在意識は働いています。
なので、潜在意識に丸投げして、思考を止める。
これが、最善。


最近の経験を書きたいけど、思考が働かない。
無駄なことを考えるなみたいに、なにかに制限される。

習慣的に思考を止めようとしているせいか、そのことだけはそれなりに考えられる。

で、経験している現象は、考えるとスゴイ。
こんな解決があるの？？。
不思議だね。

ただ、自分の中では当然。という気持もある。
だって、完璧な潜在意識が最善の結果を実現しただけだもの・・・・。

こんな感じで、人に伝えるように書けない。
過去の自分との比較を書けない。
どうでも良いことのように思えて・・・・。
（過去の自分がです）


「ただただ、思考を止めなさい」と言われているような感じになります。

本当に一つだけ伝えたい。
思考を止めて、潜在意識に丸投げする。
これを、実行していると、本当の幸福に向かっていると思えるような、経験が多発してくる。
これは、本当です。


もう一つ、思考を止めても、止めても、繰返しそのことを思考してしまうとき、
完璧な潜在意識に丸投げするつもりで、
「ありがとう。ごめんなさい。許してます。愛してます。」と唱え続けるのも良いです。
これで、翌日から激変したこともあります。

もう、思考を止めますね。
ありがとうございます。]]></description>
</item>

<item>
<title>心の安定：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0030.html</link>
<description><![CDATA[思考を止めるための思考を繰り返していると、心の安定度は増していきます。

どんな事態に直面しても、安定した心境でそれに向き合うことができるといえます。

他者から見るだけでは、理解できない心境だと思います。
見方によっては無責任に見えるでしょう。

一見不幸と思える事態に直面したとき、表現を変えれば、人生のどん底に突き落とされるような事態に陥ったとき、それでも、心が安定しているとしたら、それは不思議ではありませんか？。

もちろん、順調に人生を満喫できればそれが良いと思いますが、それは、自分自身の思考の習慣に従って、現実が現前してきます。
そう、考えていることが現実になってきます。

その、今の経験は、過去の自分自身の思考の産物といえるものです。

ですから、どんな事態が出てきたとしても、思考を止めるための思考だけをし続けることです。
過去の思考を悔やんでも解決できませんね。

思考を止めると、過去も未来も薄れて消えて行きます。

今ここでしか生きることはできないからです。

過去はこうだった、未来はこうなりたい・・・・。
全部思考ですね。止めてしまえば消えて行きます。

簡単ではないですが、繰り返し繰り返し行なうと、だんだん消えて行きます。

思考が静まってくると、不思議な心地よさを感じるでしょう。


そして、思考を止めると、責任も無責任も関係なくなってしまいます。

ただ、今の瞬間からどうするのか、いつでも、その瞬間からの出発の繰り返しだけです。

次に何をするかの選択をし続けるだけになります。

それも、思考を止めるための思考を繰り返しながら、進み続けるだけです。

すべては、完璧な潜在意識が行なうんだと想い定めて進み続けます。


まだまだ、未熟な私が選んだ道です。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止める思考：気付き：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%B0%97%E4%BB%98%E3%81%8D/0009.html</link>
<description><![CDATA[思考を止めるために、完璧な潜在意識について考える。

「潜在意識は完璧なので、私は考える必要はない」
「私が思考を止めると、最善の結果が実現する」
「私の思考が止まると、本当の幸福が実現する」
等々、潜在意識は完璧なので、自分ではなにも考える必要はないんだと断言し続ける。

本当に考えないで、ヒラメキに従っている方が良い結果に繋がると思える。

結果についても考えないので、常に最善の結果といえるのだが、数字的にあるいは気分的に評価しても良い結果になっている。

不思議なことだが、会社の業績などはトップを維持しながら、以前のような苦労はまったくしていない。

本当に考えなしに進んできたので、無理な努力や苦労をした覚えがない。
それでも業績は上々で、だんとつの結果が出続けている。
自分でも不思議で仕方ない感じはあるものの、社内の誰よりも目標について考え、完璧な潜在意識について考えているといえるので、当然の結果かもしれない。

目標について考えるというのは、職務上、毎日のように目標達成度や指示を出さなければならないので、毎日確認している。
それが、私の仕事の大半を占めているので仕方ない。

目標を考えることも止めるといわれていますが、仕事上の目標は今のところ止めることはできない。
しかし、その目標を達成できるかなど、あれこれ考えて悩むことは皆無になってしまった。

何故って、完璧な潜在意識がすべてを行うので、私は考える必要はないと考えているからです。
それでも、あれこれ考えて苦悩と努力を繰り返しているときと変わらず、業績はダントツ。

それでいて、苦労はまったくないといえる状態になっています。

人間関係等に悩むときもありますが、そんなときでも、すべては完璧な潜在意識が行っていると思っています。
ですから、あれこれ考えて悩んでいた時間が、自由な時間になってしまったような感じです。

結果は変わらず、順調に推移しているのです。不思議ですね。]]></description>
</item>

<item>
<title>感謝法：方法：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%96%B9%E6%B3%95/0018.html</link>
<description><![CDATA[「ありがとう」あるいは「ありがとうございます」と繰り返し唱え続ける。
声に出しても、心の中で唱えても良いです。

これも昔から言われている方法ですね。
ただただ、「ありがとう（ございます）」と言い続けるだけの方法です。

この感謝法も思考を止めることに効果があると思います。

何かを考え始めたら、「ありがとう（ございます）」と考える、唱える、とにかく思考を置き換える。
これで思考の連鎖を止めることができます。

「ありがとう」でも「ありがとうございます」でも良いです。
（ありがとうございます。の方が効果が大きいという説もありますが、どちらでも良いと思います）
継続できなければ、ほとんど意味は無いので、自分の唱えやすい言葉で良いですね。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
と、ただ繰り返し言い続けるだけで良いんです。

本気で感謝の気持ちになろうとする必要はないです。
ただ言い続けるだけ。

他の考えにかぶせてしまうように言ってもいいです。

とにかく「ありがとう」（ありがとうございます）と言い続けるだけの方法なんです。

言い続ければいいので、本当の気持とかは無関係でいいんです。
本心では不平不満や恨みつらみがあったとしても、ただ「ありがとう」と繰り返し言う。

この感謝法の良いところは、「潜在意識は完璧だから～どうのこうの」と考える必要もないということです。
「ありがとう」の一言で完結だからです。

でも、これじゃ思考が止まらないというときは、間髪をいれずに繰り返し言い続けるんですね。
心の中でも、声に出してもどちらでも良いので、人前でもできますから実践してみることをおすすめします。

とにかく、感謝感謝の繰り返し。


思考を止めようとする思考法は、一つの思考に置き換えてしまうのが一番簡単だと思います。
問題は飽きてしまうことですね。（そんな思考も止めてしまうんですけど・・・・）

今の目的は思考を止めることなので、感謝の言葉で思考を置き換えて、思考の連鎖を止めることです。]]></description>
</item>

<item>
<title>完璧な潜在意識：気付き：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E6%B0%97%E4%BB%98%E3%81%8D/0008.html</link>
<description><![CDATA[完璧な潜在意識を想定して、潜在意識に丸投げする生活を続けているが、良いことの方が多いと思う。
一番は気持が楽になったということ、心が楽になってストレスが半減してしまった。

なので、ほとんど悩みが無くなった。
健康等の悩みは尽きないが、考えないようにしているので、苦にならない。はは。

完璧な潜在意識がすべてを行うから、自分はなにも考える必要はないと考えている。

つまり、思考を止めるための思考だけをするようにしているから・・・。


これは、騙されたと思って実行してみれば解ることですが、やらなければ一生解らないです。
思考を止める。無念無想とか無心になるなんて境地は難しいでしょうが、それも完璧な潜在意識が行うと考える。

こんなこと続けているとサイトも更新できないので、今だけ思考します。

思考を止めるための思考だけする。というのは、なにも考えないというのとは違い、潜在意識に丸投げすることを宣言し続けるような内容になります。

潜在意識でも神でも仏でも何でも良いです。それは呼名ですね。

なんと呼んでも良いです。完璧な存在があり、自分はその存在に活かされているというような絶対的な信頼感。
あるいは、絶対的な力だと認識すれば良いです。

だって、本当にそうでしょ？？。
よく書いていますが、心臓の鼓動や呼吸なんて誰がコントロールしているの？。
ものを食べて消化吸収するのは誰がやってるの？。

これらの生命活動を司っている者が、私たち一人一人の中に確実に存在しているからこそ生きているって。
そんな思いになれば、完璧な潜在意識や内なる神なんて観念も違和感なくなります。

だって、それが不完全だったら、普通に生きていられないでしょ？？。

ということで、五体満足に生まれ育っている人は特に完璧な潜在意識に感謝して良いでしょう？。
私はそう思います。

あるいは、そうではない人も、生きている限り、生命の根源に感謝して良いと思います。

要は、生きているということは、私たちの思考や意志を超えているということ。

なので、意志や思考は止めてしまいましょう。というのです。


私たちが一生懸命考えて計画するよりも、思考を止めて丸投げする方が、遙かに上等な最善の結果が実現すると思うからです。


「思考を止めようとすること以外のすべての思考を止めようとする」
これが幸せになるための結論です。

これは、良い言葉です。
最高の指針といえます。

思考は止めようが、考え続けようが、継続していくでしょう。
特に考えなくても大丈夫です。

思考を止めようとしても、簡単には止まりません。
でも、完璧な潜在意識に丸投げすると、そこで中断されます。

思考の連続性がとぎれます。
そうなると、気持が楽になります。
心が楽になります。
これだけでも成果です。

そのうえ、今まで通りの人生が送れるなら、ストレスが減る分とくです。
さらに、今まで以上の幸福が実現するなら、それで良いですね。


思考を止めれば、すべては潜在意識が行います。
思考を止めれば、完璧な潜在意識が最善の結果を実現します。
思考を止めれば、完璧な潜在意識が本当の幸福を実現します。]]></description>
</item>

<item>
<title>思考を止める 丸投げする：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0029.html</link>
<description><![CDATA[ただただ、思考を止める。丸投げする。
これだけを繰り返している。

面白い。

特に悪くなることは何もなかった。
それほど良くなることもないようにも思えるが、それも考えないので分からない。

だた、何度も書いているけれども、何も考えないようにしていると気持ちが楽になる。

精神的には以前の数十倍も楽といえる状況で過ごしているう。
それでも、何も悪くなることがないなら、こころが楽な分得していることになる。

考えても考えなくても同じなら、考えないほうが良い。
これが今の私の結論です。

すべては潜在意識が行う。
潜在意識は完璧。

思考を止める。最善の結果。
思考を止める。完璧な世界。
思考を止める。本当の幸福。

こんなことばかり考えていても、仕事は仕事として進んでいくんですね。


たまに、人の目が気になる。
今までのようにがむしゃらに仕事をしていない自分を周囲はどのように見ているかと？。

でも、すぐに思考を止めるための思考をする。
「完璧な潜在意識がすべて行う」

以前であれば、そこで自分の能力を超えた努力をしていたと思う。
そして、仕事が嫌になる。

今は、プライベートも仕事も、ほとんど考えなしに生きているので気楽なものだ。
「すべては内なる神が行う」「すべての責任は内なる神」なんて考えることもある。

自分に責任がないと考えると本当に無責任な気分になれる。
自分の責任は思考を止めること。それだけでいいんですからね。

思考を止めていることが本当にできるなら、もっと楽な人生なんだろうな。
これも思考だから止めよう。]]></description>
</item>

<item>
<title>新年に思うこと：記録：思考の解放・思考停止</title>
<link>http://www.joju.xyz/%E8%A8%98%E9%8C%B2/0028.html</link>
<description><![CDATA[新年明けましておめでとうございます。

年が明けても思考を止めようとすること以外の思考を止めようとしていると何も変わりない。

もっとも私は年末も年始も普通に仕事しているので、以前からさほど正月気分はなかったですが、今年はなおさら普段と代わり映えしない。

これが、良いことか悪いことかは考えないので解らない。

思考を止めようとすること以外は興味も無くなってきている。
その理由がなにかは分からないが、思考してあれこれ考えることより、思考を止めて静かにしている方が心地好いことが解ったからだと思う。

元祖は気持ちよさを求めるのも消すようにいっているけど、思考停止が最高に気持いいのも消せるのかな？。
私には解りませんが、とにかく思考の中で思考し続ける生き方はウンザリしているのは確かなこと。


これからも、思考を止めることを考え続けることを選択し続けるでしょう。
思考を止めることの心地好さを知ってしまったら、その他の楽しみや快感に意識が向かわなくなる。

深い眠りの中にいるような、言葉では表現できないそんな気分を味わい続けたい。
その思考も止める。

でも、止めても止まらない吸引力のようなものを感じる。

これが、本当の境地かは解らない。
それでも、手探りで思考を止め続ける。

だって、思考を止めても実生活に何も問題は無いから・・・・。
（いろいろ忘れっぽくなって周囲に迷惑をかけているかも）

とにかく、どうでも良いことは直ぐに忘れてしまうようになった。
考えないようにしているので、これは当然のことだと思えます。

思考を止めて、潜在意識に丸投げする。
それだけで、自分が考える必要は無くなってしまうんですね。

考えていないと、自然にやるべきことが解るというか、出てくるというか、やるべきことがあれば、それをやる。

やるべきことがないときは、思考を止めるための思考を続ける。

今年は、もっともっと、思考を止めるための思考だけを考え続けよう。
これも思考だから止めるか？・・・・。

すべては潜在意識が決めること、自分では何も考えない。
思考を止めるための思考だけを続ける。
これだけ。

新年の挨拶を書こうと思いましたが、思考を止めること以外は考えないので、これで終わります。

本年もよろしく御願い致します。]]></description>
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